長沙民政職業技術学院 遺体管理学教授 伊藤 茂 氏
後手に回った政策
2009年1月20日過ぎから2月の始めまで中国に滞在しており、大学病院や公立病院を数箇所訪れ中国側のスタッフと色々な話をした結果、面白い点が見出された。
第1に中国でパンデミックが発生すると取り返しのつかない事態になることから、「パンデミック予防対策」に重点を置いた施策が行われており、日本よりもはるかに進んだ医療行政を見る事が出来た。
今回は大都市の保健所の予防課長と話し合いを行ったが、この大都市ではインフルエンザ1シーズン毎に、全市民に対して「無料で予防ワクチン接種を2度実施」しているとの報告であった。
何故2度なのか質問すると、渡り鳥が北上する前と南下する前に接種との話であり、概ね10?11月と2?3月に接種を行うとの話である。
ワクチンは外国の製品であり(具体的な製品名は書けない)、旧来から我々関係者が接種して来た製品と異なる可能性はあるが、製品としては信用性の高い製品を市民にも接種している事が伺える。
狭い国土の日本と異なり渡り鳥の移動の量も多く、移動時期のズレも発生する様であり、4月以降も危険な時期が続くとの話である。
一方、日本ではインフルエンザワクチンの接種は任意の有料のために、全国民での接種率がどの程度かは不明であるが、10%に達していない可能性が高い。
中国でも接種を受けない市民もいることから、システムとしては100%であるが実際には80%未満の接種率と考えられるものの、この差は大きくパンデミックの規模や進行状況にも影響を与える可能性がある。
日本では患者さんの発生した場合や大規模化に対する検討や対策が講じられているが、「予防」に対する施策こそが最も重要であり、「発生したらどうしよう」よりも「発生させない」ための努力が必要である。
国内でパンデミックが発生すると儲かる人達もいるが、国全体の経済損失は莫大な数字でありこれらを解消するためには数年の歳月が必要となる。
予防ワクチンは完全ではなく変異したウイルスには効果は低いかも知れないが、全ての市民がワクチン接種を受ける事に対しては異論はないと思われる。
大都市の恐怖
大都市東京について考えると、東京都内には国立私立の医学部や歯学部病院が30以上あり、国公立及び私立病院の数も非常に多くある事からパンデミック時の医療体制の構築が出来ており、受け入れ態勢やスタッフ側のソフトの問題を残すだけと考えられる。
特に東京においては公共の鉄道やバス等を利用しての通勤や通学が大部分を占める事から、非常時には公共交通機関の利用を控える傾向もあり、企業や教育機関の臨時閉鎖も想定され、終息までの期間は外出を控える事が予測される。
しかし、医療機関や行政、司法や消防は閉鎖や業務停止を行うことは不可能であり、「不特定多数の者が集まる公共施設の閉鎖」はあり得るが、空港や駅の閉鎖は不可能であり、これらの施設で勤務する職員は出勤や勤務を余儀なくされる。
特に東京は国の中枢や経済の中枢等が「一極集中」しており、人口数や対策を考えると東京の脆弱な部分も否定は出来ない。
都市部で多数の死亡者が発生する大規模災害やパンデミックにおいては、北米では考えられない事態が発生する。
日本は世界では類を見ない「火葬国」であり火葬率99.9%である事から、イスラム教徒や胎児等を除くと「死亡者のほぼ100%が火葬される」と考えても差し支えはない。
特に大規模災害やパンデミックの時には「短期間に多数の死亡者が発生する」ために、死亡者数と火葬可能能力(火葬可能ご遺体数)とのバランスが大きく崩れる事となる。
阪神淡路大震災においてもエンバーミングの責任者として現地で活動を行って来たが、現地の火葬場も被災して破損または都市ガスの供給が停止して火葬炉の稼動が不可能となる事態や、火葬場の職員自体も震災で被災しており受傷や死亡をしたために「現地の火葬業は閉鎖」される事態に至った。
そのために、陸上自衛隊のヘリコプターやトラックでご遺体を隣県である岡山県や京都府に搬送して火葬が行われ急場を凌いでいた。
しかし、それでもご遺体の数は火葬能力を逸脱しており、国としての早急かつ超法規的な判断が求められる事となった。
火葬は厚生省(現 厚生労働省)が所管官庁であり厚生大臣は発表で、「ご遺体の野焼きも止む無し」と判断を示した。
しかし、幸いな事に震災発生が冬季の寒い時期であった事から「ご遺体の腐敗進行が遅く」、また震災発生2日以降からは各地のご遺体安置場においても「ドライアイスの余剰」が見られた事から、震災発生2日以降はドライアイスの不足は生じなかったと考えられる。
しかし、これらの被災現場での物品管理は機能しない場合が多く見られ、ご遺体安置場においても「数百?ものドライアイスが余っていた場所」もあれば、不足している場所もあり、これらは今後の課題ではある。
結果的には、震災発生から5日以降には被災ご遺体に関する問題は解消されて、「ご遺体の野焼き」は実施されなかったが、「緊急時には野焼きも実施」との国の考え方が明確となった。
東京でパンデミックが発生する場合は、高病原性鳥インフルエンザやSARS等の発生時期は「冬季」と考えられ、夏季に比べるとご遺体の腐敗は明らかに遅くなる。
しかし、震災での被災ご遺体と大きく異なる点は「震災の外因子ご遺体と異なる病死ご遺体」であり、潜在的なご遺体腐敗リスクが高い点にある。
特に死亡前の熱発は必然的な症状である事から、「明らかに死後変化が早くて強いご遺体」と考えるべきであり、腐敗リスクポイントの高いご遺体に分類する事から、阪神淡路大震災の様な時間的な余裕は少ない。
特に災害では身元確認と検視や検案、死体検案書の発行に手間と時間を要する上に、ご家族も同時に被災している場合が多く、ご遺体の検視・検案、行政手続き、引渡しから火葬までに時間を要するが、パンデミックでは死亡診断書を病院が発行する事から、時間が非常に短縮される。
特に死亡したご遺体の身元が明確であり司法や行政機関の関与や書類作成が無いために、病院での死亡確認後は直ちにご遺体の移動は可能となり、ご家族の希望によりご遺体の搬送が開始される。
行政の苦肉の策
前述の様に東京23区内の都民の火葬は「民間企業依存」であり、その火葬能力も「平常時を想定」している事から、非平常時には大変な事が発生すると考えられる。