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エンゼルケアアーカイブ
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エンゼルメイクにおける医療・福祉従事者の役割と責務

 

長沙民政職業技術学院 遺体管理学教授  伊藤 茂 氏

 

責務の放棄

 

近年、エンゼルメイクに関して医療現場の看護師の中から多くの疑問点が出ているが、中には「医療や福祉の存在意義」に関する質問もある。
その質問のなかには、「どうせ、帰院後に葬儀社がご遺体処置を行うので、看護師がエンゼルメイクを行うことは必要ない」や「病院指定や病院出入りの葬儀社が、葬儀社や湯灌等でご遺体処置を行うのだから、病院でのエンゼルメイクは不要との話のために、病院内では看護師はエンゼルメイクを行わない」との考えを持つ看護師も存在することに驚いている。
医療や福祉現場においては、「どうせ?」や「?だから」は大変危険な考えであり、これらの「推定での結論」は行うべきではない。
確実なことは、「目の前の患者さんやご遺体」であり、退院後や帰院後に「誰が何をするか」は決定ではなく想定事項であることを忘れてはならない。
エンゼルメイクに関しては、「どうせ?、だから?、しても仕方がない」は絶対に容認されない言い訳となり、「どうせ、葬儀社が有償のご遺体処置を行うのだから、病院でエンゼルメイクを行っても仕方がない」との考えは、非常にネガティブ理論であり、看護師の職責であるターミナルケアの放棄とも取れる。
エンゼルメイクは医療ではないために法令上の業務独占行為ではないが、厚労省の看護系審議会や検討会、本年度の日本学術会議での提言においても、「看護職のエンゼルメイク(死後の処置)は認められており、更なる拡大」が示唆されている。
医療を受診される患者さんは必ずしも軽快または完治されての退院されだけではなく、残念ながら死の帰院をされる患者さんは年間で約90万人にも及ぶ。
そのために、「医療と死」を切り離すことは不可能であり、看護師が死を避けて通ることは出来ない。
「新たな看護のあり方」においても明記されているように、看護師の看取りにはご遺体の処置が含まれており、これらを放棄することは「後退」と言える。
帰院後に葬儀社が行うご遺体処置は「目的や意義、意味が全く異なり」、看護職が行うエンゼルメイクとは「似て非なるもの」である。
仮に葬儀社がご遺体処置を行う予定がある、あるいは行うだろうとの推測から、エンゼルメイクが行われないご遺体が、葬儀社の予定変更や他の葬儀社への変更があった場合には、HPでのエンゼルメイクは未実施であり、葬儀社のご遺体処置も行われない可能性が生ずる。
そのために、目の前のご遺体に対しては「最善を尽くす」ことが重要である。

 

 

ポール博士の言葉

 

私が尊敬する人の1人であるポール博士の言葉に、「Do your best, and it must be first class.」というものがあり、日本語では「最善を尽くせ、しかも一流であれ」と訳されている。
これは、聖路加国際病院創設者であるトイスラー博士の信条を受け継いだ考えであり、言葉でもある。
トイスラー博士はポール博士に対して、「もしキリストの名のもとに何かしようと思ったら、人々が目標としてまねのできる本物を示せ。しかもそれは一流のものでなければならない」と説いたとされている。(資料:財団法人キープ協会)
ポール博士とトイスラー博士の日本への貢献や業績については、検索して貰えれば非常に多くの情報が得られるので、各自で参照されたい。
この「最善を尽くせ、しかも一流であれ」との考え方は、医療現場では非常に重要な言葉であり、常に実践するべき考え方である。
例えば、緩和ケア病床で死に向かっている患者さんでは「死は確実な現実」であるが、今現在に対して最善を尽くす必要がある。
最善を尽くしても患者さんの生命を助けることは出来ないかも知れないが、結果に左右されて「最初から放棄」することは本当の意味での「プロ」ではない。
社会保険の患者さんは国民健康保険の患者さんより「多くの請求が可能」であり、社会保険の患者さんと国民健康保険の患者さんでは検査や治療、投薬にも差が出ている。
しかし、これらはシステムや経営上・運営上の問題であり看護意識では「健康保険による区別」は少ないと思われる。
日本の健康保険は世界でも有数の国民皆保険制度であり、貧富の差に左右されずに「等しく医療を受ける」ことが出来る。(一部の差はあるが)
一方、アメリカでは「民間健康保険制度」であり保険金の支払ができる人達が最善の医療を受けることが可能となる。
アメリカの人口は約300,000,000人であるが、40,000,000?50,000,000人は健康保険に加入していない「無保険者」であり、アメリカ人の約15?16%は無保険状態といえる。この数字は「サブプライム・ローン問題」で更なる悪化が予測されるために、ポール博士やトイスラー博士の母国であるアメリカでは「より上位の民間健康保険加入者」には最善・一流の医療が行えるが、無保険者には切り捨て医療が行われており、「Do your best, and it must be first class.」の考えが多くの医療現場で継続が困難な現状が続いている。
ちなみに、アメリカで盲腸手術を受けると200万円程度の請求があり、救急車に乗るだけでも5?10万円を請求される。 (無健康保険者には支払い不能)
合衆国政府や州政府の健康保険には低所得者層にはMedicaid、65歳以上の高齢者や障害者にはMedicareはあるが、それら以外の多くのアメリカ人は民間会社の健康保険に加入し医療を受けるか、無保険者となり自費にて最低限の医療に抑えるかの選択を余儀なくされている。
しかし、世界から見ると日本は優れた受診環境であり、医療システムである。
私は、「Do your best, and it must be first class.」を「手抜きはするな、妥協はするな」と考えている。
そして、私はキリスト教徒ではないためにトイスラー博士の指導を「人々が目標としてまねのできる本物を示せ。しかもそれは一流のものでなければならない」と考えている。
ご遺体に関しても、「自分の目の前にいるご遺体に最善(手抜きをするな)を尽くせ、しかもより完全(妥協をしない)でなければならない」といえる。
HPでのエンゼルメイクでは、帰院までの短い時間でのご遺体処置であり時間的・用品的・技術的問題から完全なご遺体処置は出来ないのが現状である。
しかし、問題なのは「手抜きをしない行動と、完全を目指す気持ち」であり、この行動と気持ちや考えを捨てることは、まさしく「妥協」である。
現社会や医療現場では「妥協も必要な部分もあるが」、端から妥協をするのは問題であり、管理者は妥協を求める職域環境を作ってはならない。
また、仕事量の多さや時間を理由に妥協するのもプロとしては問題である。
「妥協」には良い意味の妥協もあるが、多くはレベルダウンであり、それを認めるわけにはいかない。
私も国内のエンバーミング施設に所属していた頃は、1日に3名のご遺体に対してエンバーミングを行ったときもあった。
午前中に1名のご遺体、午後から2名のご遺体のエンバーミングを行い、これはご遺体の状態に関係なく行っていた。
問題のない簡単なエンバーミングでも、問題の多い困難なエンバーミングでも一般エンバーミング技術者には手当ては付かないシステムであった。
そのために、北米の一般エンバーミング技術者は問題のない簡単なエンバーミングばかり行い、問題のある困難なご遺体へのエンバーミングは私が担当をしていた。
問題のないご遺体であれば1日に3名のご遺体のエンバーミングは可能であるが、1日に外傷等のあるご遺体が3名となると困難な状態ではあったが、これを放棄することが出来ず、妥協することなくご遺体の処置を行った。
どのご遺体を担当するかは先着順であり、私は残ったご遺体の処置を担当するため「誰も担当したくないご遺体」がいつも私の担当となっていた。
「どうせ火葬するのだから」や「どうせ手当ては付かないのだから」との理由等からご遺体を選別(悪い意味でのトリアージ)し、問題のない簡単な処置のご遺体ばかりを担当していた人達は「プロ」とはいえない。
確かに、自分の能力以上の仕事をしたがる人達も存在しこれらは危険であるが、問題の少ない仕事ばかり選ぶ人達は「妥協」としかいえない。

 

 

無駄と無意味

 

無駄と無意味は異なる。
無駄とは悪く捉われがちであるが、無駄には「意味のある無駄」もある。
言い換えれば、無駄には「良い意味と悪い意味」がある。
医療やご遺体に対する処置でも無駄は多いが、これらは「意味のある無駄」であることが多い。
患者さんへ行う採血時の穿刺部位の消毒においては、穿刺部位の不完全な消毒であっても感染しない可能性はあり、「未消毒=感染」とはいえないが医学的にも穿刺部位の消毒を実施することが最善策といえる。
ご遺体においても、火葬までの数日程度は全く腐敗症状を呈しないご遺体も存在し、ご遺体への防腐処置が無駄となる場合もある。
しかし、これらは「意味のある無駄であり、良い意味の無駄」である。
敗血症罹患ご遺体においても、全てのご遺体が死後に急激な変化を示すわけではなく、明確に急変するご遺体を見つけることは出来ない。
そのために、全ての敗血症罹患ご遺体への「死亡直後の深部体温低下処置」が、敗血症罹患ご遺体の急変を防ぐ方法の中では最善処置の1方法といえる。
結果的には無駄になる場合もあるが、「急変や激変への対応」としては意味のある無駄な処置である。
むしろ、「無駄になって良かった」との余裕のある考えが必要であり、「葬儀社が行うからHPでは無駄」はエンゼルメイクを悪い無駄と考えた結果である。
無意味の定義も曖昧ではあるが、ご遺体に関しては「論理的・理論的・現実的でないこと」と考えられる。
そのために、従来から行われてきた「死後処置」は無意味な処置が多い。
無意味にも「有意義な無意味」はあるが、悪影響を引起す無意味な処置は問題点を認識し、再評価を行う必要がある。
医療者や福祉従事者が行うエンゼルメイクは無駄で無意味との考えは、現在の医療・介護システムや今後の医療・介護システムを考えると、大きな間違いである。
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