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“ヨギニナース”のアカデミア日記①
(2016.05.17)

 大人になってからも、ワクワクするってとても大切。初めて参加したエンゼルメイク・アカデミアは、私にとって新しい世界で、遠足のように心躍るイベントだった。
 話は講習会の数日前にさかのぼる。テレビを見ていたら、兵庫県で気球の活動をしている団体を発見。長年「気球に乗りたい」と思っていた私は、「これはチャンス!」と早速問い合わせてみた。「ついに気球に乗れるのかな〜!」まだ乗ってないのに何だかもう嬉しくて、メールの返事を待っている間、気球に乗って大空を巡っている自分を想像して、ずっとワクワクしていた。
 結果的にいうと気球は学校訪問だけなので乗ることはできないという返事で、少し残念だったけど、気球に乗った気分で数日ワクワクして過ごせたので、それはそれで満足だった。
 ここまではエンゼルメイクと全く関係なさそうな話だけど、ここからが本題。
 気球に乗りたい!とワクワクして数日過ごしたら、ワクワクの感度が上がったのか?翌日に違うワクワクを見つけることが出来た。それがエンゼルメイク・アカデミアへの参加だった。
 講習会前日に神戸で行われた瞑想のイベントで、ゆっくり小学校の用務員さん(上野社長さん)と再会した。用務員さんはイベントの主宰者でお忙しそうだったので、あいさつだけでもと思っていたのだけど、イベントの終わりに図らずともお話するタイミングがやってきた。そして、話が盛り上がり、そのまま駅まで一緒に帰るという意外な展開に!
なんの話をしていたか……それは「死」!
 去年の「スロー・デス・カフェ」というイベントでも上野さんと少しお話させて頂いたが、上野さんの死生観の話がとびきり面白いのだ。話の続きを聞いているようで、気球以上にワクワクしてしまった私。「死」を語り出したら止まらない用務員さんと「死生観」を学びたかった私。
 今年のエンゼルメイク・アカデミアはすでに募集が締め切られていたから、参加を諦めていたのだけど、トントン拍子で話が進み、ドタンバ参加できることになった。自分がワクワクすることをしていると、アンテナが研ぎすまされ、感性が開いて、自分が本当にやりたいことに繋がっていくものだ。

 こうして参加を決めたエンゼルメイク・アカデミア。あらためて「あぁ、私、看護師やった」と思い出した。(普段はヨガの仕事もしているので)
参加者のほとんどが現役看護師で、緩和ケア病棟や療養型病棟など、「看取り」を多く経験する現場の看護師が多く、当然ながらエンゼルメイク用品の使用法を学びに来た方も多かった。50名程の看護師のほとんどが、「日常の業務に役立てたい」と自分の貴重な休みとお金を使ってこうして足を運んでいる姿は、本当に尊敬に値する。
 1回目は、上野社長さんがエンゼルケア哲学と称して、医療の現場にフォーカスした死生観やケアについてお話してくださった。未年でもないのに、生々しい羊柄のシャツをお召しになった社長さんは、時々ご自慢の鐘を鳴らして参加者全員にサイレントの時間を設けたり、山伏体験の写真を披露してホラ貝の音色をPCで聞かせてくれたり、と相変わらずの自由なパフォーマンスだったが、「死」に関する体験や様々な書籍を、分かりやすく噛み砕いて講義して下さり、大変分かりやすかった。
 スロー・デス・カフェと決定的に違うのは、病院や施設で迎える「死」にフォーカスした「医療従事者向け」ということ。専門職として患者の死とどう向き合うか。エンゼルケアってなんなのか。看取りってなんなのか。
 講座を通してずっと感じていたことは、一般的には「死=マイナスなもの、悪いもの、避けるべきもの」という根強い概念があること。これは医療の現場も然り。一方で、私は「執着」や「善悪の判断をしない」という観点から「死ぬことは生きることの一部であり、自然の過程である」「生も死もただの状態であり、良いも悪いもない」とも考える。これはヨガ哲学からの影響が大きい。8年前に病棟看護師をしていた私と、そこからヨガを始めた私。自分の感覚が大きく変化していることに気がつく。
 ヨガや瞑想を通じて自分と向き合う中で、あらためて「生きる」ことと向き合い、自然と「死」についても考えるようになった。死は人生の最後のイベントであり、変な言い方だけど、生まれてきた人しか「死」は経験できない。自分や他者の「死」に覚悟や前向きな考え方があるわけではないが、「死」=避けるべきもの、忌み嫌うもの、とは思わなくなった。
 グループワークでお互いの意見を交換した時、このような私の死生観を話すと参加者のみなさんは一様に「え~、ほ~」といった顔をされた。それはそうかもしれないけど、実際の現場は……と少し戸惑った方もいたかもしれない。ヨガの仲間と語る「死」と医療の現場で語る「死」はやっぱりニュアンスが違う。そもそも、「死」の捉え方も深さも個々によって異なる、ということをあらためて実感した。
 グループワークで「あなたにとってエンゼルケアとは?」というお題があった。私は、エンゼルケアはあくまで「家族や医療者のためのもの」であり、「残された人達の死の受容過程の最初のステップ」だと思った。グループ内でよく聞かれたのは「最後にできることをしてあげたい」、「最後までその人らしく」という言葉。エンゼルケアは、これらの「(医療従事者を含む)残された人達の思い」に対して行うもの、なのかもしれないと感じた。なぜなら、エンゼルケアを施すことで、医療者や家族自身が「死」と向き合い、癒されるから。
 しかしながら、久しぶりの現役看護師に囲まれて、とっても懐かしい気持ちになった。初めて会うもの同士なのに、同じ病院の院内研修のような親近感や一体感があった。
 こうして新しい交流が生まれて、私がどう変化していくのか楽しみ。そして、人生のこのタイミングで「死」を学ぶ環境に出会えたことをありがたく思う。この経験は私の今後の仕事の仕方や生き方にも大きく影響していくだろう。


文章・イラスト:八幡 祐子
福井県福井市生まれ。看護師。大阪、神戸、イギリス、フィリピンなどでヨガやエネルギーワークを学ぶ。2014年秋にぬんヨガに出会い、現在も彼の元で型にはまらないヨガ実践を深めている。ヨガや瞑想を通じて「自分の人生を生きる」ことの大切さと楽しさを実感し、それを伝えていこうと、2014年末に治験コーディネーター職を退職。現在は看護師をしながら、ヨガティーチャーやお話会をメインに活動している。
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http://floweringyuko.blogspot.jp/



 

“ヨギニナース”のアカデミア日記①  

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